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甲府地方裁判所 平成9年(ヨ)158号 決定

主文

一  債務者は別紙物件目録記載の産業廃棄物中間処理施設の建設を続行してはならない。

二  申立費用は債務者の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  事案の概要

本件は、債務者が操業を計画している産業廃棄物中間処理施設について、その周辺地域を生活圏とする債権者らが、右施設から排出される有害物質によって生活用水や大気が汚染され、健康が侵害されるおそれがあるとして、人格権に基き右施設の建設続行の差止めの仮処分命令の申立てをした事案である。

一  争いのない事実及び顕著な事実

1 債務者は、廃棄物の収集、運搬及び処理を業とする会社であり、平成九年一一月ころから、山梨県中巨摩郡若草町内において別紙物件目録記載の産業廃棄物中間処理施設(以下「本件施設」という。)の建設に着手し、平成一〇年七月末ころからその操業を予定している。

2 本件施設において予定されている操業の内容は、<1>建設廃材(コンクリート塊、アスファルト類)の破砕リサイクル処理、<2>廃プラスチック類、金属くず、ゴムくず、繊維くず、木くず、段ボールくず、紙くず、ガラスくず及び陶磁器くずの破砕減容処理、<3>段ボール及び紙類の圧縮梱包処理、<4>繊維くず、木くず、段ボールくず、紙くず、動植物性残渣及び廃油(助燃材として使用)の焼却処理、<5>汚泥の乾燥焼却処理である。

そして右<4>の焼却処理にともない、近時その人体に対する有害性から排出抑制が緊急の課題となっているダイオキシン類が発生する。

3 ダイオキシン類は、法令上はポリ塩化ジベンゾフラン及びポリ塩化ジベンゾ--パラ--ジオキシンの混合物の総称とされており(大気汚染防止法施行令附則三項四号、廃棄物の処理及び清掃に関する法律施行規則四条の五第一項二号ワ)、強い毒性があり、微量の摂取によっても、発ガン性、催奇形性、生殖障害、免疫障害など人体への悪影響があるため、これによる環境汚染の防止が急務となっている。

ダイオキシン類は、廃棄物焼却の過程で大量に生成・発生し、容易に分解することなく自然界に蓄積することが明らかになってきたことから、我が国においてもまず行政指導による排出削減策がとられ、平成九年には大気汚染防止法施行令の改正によりダイオキシン類が同法上の指定物質とされるとともに、その排出削減対策のため廃棄物の処理及び清掃に関する法律施行令及び同施行規則の改正がされ、これら改正規定は同年一二月一日から施行された。右改正規定を本件施設に設置される焼却炉に適用すると、右焼却炉は一時間当たりの焼却処理能力が三四〇キログラムであり、燃焼室の処理能力が一時間当たり二トン未満の場合に当たるから、これに対するダイオキシン類の排出規制値は一定条件下の排ガス一立方メートル当たり五ナノグラム(ナノグラムは、一グラムの一〇億分の一)以下である。ただし右規制は改正規定施行時にすでに設置されている施設には適用されないこととされており、既存の焼却炉については、一年の猶予期間後、平成一〇年一二月一日から平成一四年一一月三〇日までの間の規制値は八〇ナノグラム以下、その後の規制値は一〇ナノグラム以下とされている。本件施設は、行政当局により、既存施設として取り扱われている。

なお、右規制値は厚生大臣が定める方法によって算出されるが、その際、ダイオキシン類には各種塩素化合物があることから、その一の2、3、7、8--四塩化ダイオキシンの毒性等価係数(TEQ)を一とし、これを基準としてその他についての毒性等価係数を定め、それぞれについて個別に算出された濃度を毒性等価係数をもって調整した各数値を合算してダイオキシン類全体の濃度を算出することとされている。

4 債権者らは、本件施設の近隣地域すなわち山梨県中巨摩郡田富町山之神地区において、居住し、あるいは稼働するなどして生活している。債権者らの右生活地域は、「リバーサイドタウン」と称される大規模住宅団地(人口約三〇〇〇人)、旧来からの集落である鍛冶新居地区(人口約四八〇人)及び流通団地等によって構成され、スーパーマーケットその他の事業所も多い。

右地域は、本件施設の南方で、冬期の季節風(八ヶ岳おろし)の風下に当たり、また、釜無川のすぐ東側に位置し、地下水が豊富な場所である。そして、債権者らの飲用水(上水)には地下水が利用されているところ、その水源は、本件施設から釜無川に沿って約一キロメートル下流の地点に位置し、水深約九〇メートルのところから汲み上げられた地下水が飲用水にあてられている。

二  債権者らの主張

1 本件施設の操業により、次のように有害物質が排出される危険が大きい。

<1>建設廃材の破砕処理にともなうアスベスト、アスファルトに付着した重金属類(水銀、砒素、クロム、銅、カドミウム、鉛等)、ダイオキシン類、ベンゼン等の飛散

<2>廃プラスチック類その他の破砕減容処理にともなう重金属類、芳香族炭化水素類、ホルマリン、有機塩素系物質(ダイオキシン類、クロルデン類、農薬等)等の排出

<3>段ボール・紙類の圧縮梱包処理にともなう重金属類、フタル酸エステル等の飛散

<4>廃棄物の焼却処理にともなうダイオキシン類の排出

2 本件施設の操業により右有害物質が排出されると、債権者らの前記生活地域と本件施設の位置関係からみて、飲用水としての前記地下水及び大気が汚染され、債権者らは健康に重大な被害を被るおそれが高い。

三  債務者の主張

1 本件施設は、廃棄物の処理及び清掃に関する法律、大気汚染防止法その他の諸法令による規制をクリアーする安全な施設であり、債務者は次のような措置を講じるから、有害物質が排出されるとしても、その量は右規制における基準値以下であって、債権者らに被害が生じることはない。

(一) 本件施設に設置される焼却炉は前記ダイオキシン類の排出規制上は既設炉であるが、新設炉に適用される規制値を下回る量のダイオキシン類しか排出しない。なお、廃棄物処理によって発生する排水はすべて焼却炉に蒸撒させるので、外部に侵出することはない。

また、債務者は、右排出抑制のため、以下のような方法を採用する予定である。すなわち、<1>ダイオキシン類は不完全燃焼のもとで発生しやすいといわれているので、焼却炉において排ガス温度を摂氏八〇〇度以上に維持して廃棄物等を完全燃焼させ、<2>次いで脱塩化水素剤である消石灰を投入したうえWサイクロン集塵器によって煤塵を粗取りし、<3>さらに、水冷塔及び空冷塔によって排ガスを摂氏二〇〇度以下に冷却してダイオキシン類の発生を抑止したうえ、除去効率を高めるためダイオキシン類の吸着剤として活性炭を投入し、これをバグフィルター(ろ過装置)によって捕集してから、排ガスを大気中に排出する。

以上の方法は、その有効性が科学的に実証されており、平成九年一二月一日施行の廃棄物の処理及び清掃に関する法律施行規則が定める技術上の基準を満足している。

しかも、ダイオキシン類に汚染された焼却灰及び活性炭は、厚生省のガイドラインに沿って、溶融固化等の無害化処理施設へ搬出することになっているばかりか、焼却炉の試運転によりダイオキシン類その他の大気汚染物質の法令上の排出基準適合を確認してから、本格操業を行い、また、操業開始後も一年に一度、排出濃度測定等を行い、安全性を確認しながら操業していくことにしている。

(二) 本件施設への搬入物に、人体に有害な重金属類が含まれている可能性はあるが、飛散しないように搬入・搬出することにしている。

(三) 本件施設ではアスベストは取り扱わないので、これが飛散するおそれはない。

(四) 本件施設に搬入される廃棄物には排出事業者が発行するマニフェストと呼ばれる積荷伝票が添付されるので、債務者は、これによって搬入物の内容を確認し、廃棄物を適正に管理・処理する。

2 債務者は営業の自由を有し、かつ本件施設は、国家的緊急課題である廃棄物処理を目的とする施設であって、現在社会において必要不可欠なものであるから、債権者らには受忍してもらうしかなく、保全の必要性もない。

第二  当裁判所の判断

一  被保全権利

1 本件仮処分命令の申立ては、本件施設から排出される有害物質によって大気、水などの生活環境が汚染され、これにより債権者らの健康が侵害されるおそれがあるとして、本件施設の建設続行の差止めを求めるものである。そして、人間が生命、健康を維持して安全に生活する利益は、人間の基本的な生活利益に属するものであるから、人格権として法的に保護されるべきものであり、その重要性に照らすと、右人格権を侵害された者は、損害賠償を求めるほかに、人格権侵害行為そのものの排除を求めることができるし、また右人格権を侵害されるおそれのある者は、その予防のため侵害行為の差止めを求めることができるというべきであるから、本件施設の操業により債権者らの健康が侵害されるおそれがあると認められる場合には、債権者らは、その侵害を予防するため操業を目的とする本件施設の建設自体の差止めを求めることができるというべきである。

2 本件施設に人体に有害な重金属類が搬入され、本件施設における廃棄物の焼却処理の過程で、強い毒性があり、微量の摂取によっても人間の健康を損なうおそれがあるダイオキシン類が発生する可能性があり、債権者らが本件施設に近接する地域において生活していることは当事者間に争いがないところ、有害物質による環境汚染の監視システムが整備されていない現状の下においては、本件施設を建設・操業しようとしている債務者が、本件施設における操業による有害物質発生の実態及びこれによる環境汚染の防止対策についての具体的な資料を提出し、右操業が債権者らの健康を侵害するおそれのないことを明らかにしないかぎり、右のような侵害のおそれが推認されると解するのが相当である。

3 債務者は、ダイオキシン類の排出について、前記のとおり、高温燃焼及び消石灰投入によってダイオキシン類の発生を抑制し、発生したダイオキシン類についてもこれを活性炭に吸着させて固定化したうえバグフィルターによって捕集・除却する装置システムを採用するので、ダイオキシン類については、平成九年一二月一日施行の規制値を下回る量が排出されるにすぎず、安全である旨主張する。

しかし債務者は、右主張を根拠づける証拠として、排ガスからダイオキシン類を除却する装置システムの概要を示す図表、右装置システムによるダイオキシン類の捕集・除却についての数値計算結果、関連文献等を提出したにとどまり、右装置システムの具体的な仕様・性能、右数値計算の具体的根拠を明らかにする資料を提出しない。バグフィルターの製造元が作成した排ガス処理計算書をみても、そもそも計算の前提となる設計ガス条件が本件施設の焼却炉のそれと整合するか否か明らかでなく、また、右計算書においては、本件施設における廃棄物の焼却処理により発生するダイオキシン類の発生量が一立方メートル当たり一〇ナノグラム以下であることが前提とされているが、その根拠は必ずしも明らかではない。そして他に、本件施設の操業によるダイオキシン類の排出により債権者らの健康を侵害するおそれのないことについての資料の提出がない。

4 そうすると、本件施設の操業によるダイオキシン類の大気中への排出によって債権者らの健康が侵害されるおそれがあることについて疎明されたというべきであるから、その余の点について判断するまでもなく、本件仮処分命令の申立てについては被保全権利があるというべきである。

二  保全の必要性

ダイオキシン類の有害性及び本件施設が債権者らの生活地域に近接している事実に照らすと、ひとたび本件施設の操業が開始されれば、大気中に排出されたダイオキシン類によって債権者らが被るであろう健康被害は相当広範かつ深刻なものになる可能性があり、かつ事後的な被害回復も難しいというべきであるが、このような被害を営業の自由及び廃棄物処理の社会的必要性の名のもとに受忍すべきものということはできないから、本件仮処分命令の申立てについては保全の必要性があるというべきである。

(裁判長裁判官 生田瑞穂 裁判官 秋武憲一 裁判官 佐藤和彦)

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